吉田秀和さん著『私の好きな曲』

先月22日に亡くなられた音楽評論家・吉田秀和さんの『私の好きな曲』を読んでる。正確には読み始めた。昨日から。亡くなられたときの新聞記事で知 り本屋を探したのだけど見当たらず、取り寄せを頼んだら、亡くなられてから注文が相次ぎただいま絶賛増刷中とのことでようやく先日手元に届いた。

 

いまは最初の曲、 ”ベートーヴェン弦楽四重奏曲嬰ハ短調』作品131” を読んでるところ。読めば聴きたくなるし、聴けば文章を理解するまで先に進みたくなくなるし、理解するにはより聴き込まなければならないし、最初の曲から先に進めません。紹介されている全部の曲(26曲!)を読み&聴き終えるにはいつになることやら。

 

そんなわけでまだ最初の曲について書かれた数頁のぶんしか読めていないのだけど、ああこの人の言葉はいちいち格好良いなと思う。

―――より「人間的に」なればなるほど、同時に単なる人間的なものを越えた存在になるのだ。いや、人間を越えてしまったというのではない。人間を越えた存在への予感と、それへの触手が生まれてくるというほうが正確だろう。ベートーヴェンの後期の弦楽四重奏曲は、根本において、音楽となった祈りなのだ。

そして『ご存知のように』とか『ご承知のとおり』とか、知っていて極々当たり前の知識のように語られるその他の曲との比較は訳わからないのだけど、同じように語られる巨匠たちー―この章でいうと例えばストラヴィンスキーであったり、プルーストであったり――の逸話はべらぼうに楽しくて興味深くて、嗚呼、こんな読み方でいいのかしらん。きっと間違ってると思うのだけれども、いいんである。第3楽章のアダージョ・マ・ノン・トロッポ・エ・センプリーチェのすばらしさは分かった。それで嬉しい。のんびり楽しみます。