44歳の日常

 もはや年に一回の更新頻度の日記。いや年記と呼ぶべきか。

 

 昨日8月13日で44歳の誕生日迎えました。どこまで続くのこの苦行。30歳くらいで夭折したいと思っていたのに叶わず、ろくに運動もせずたらふく食べて、がぶがぶ飲んで煙草たくさん吸ってます。こないだ食べたジビエ料理がうまかったのでまた行きたい。健康診断で肝臓あたり指摘されるけど、生活になんら支障もなく、まあ普通に元気です。

 仕事は勤めてた会社の取締役になりました。だからと云って特段の大きな変化は無い。若干の居心地の悪さを感じるくらい。居心地悪いてことは何かしら前進しているのだろうと、もはや惧れもなく達観の境地。立ち居振る舞いも・公正な判断も・ビジネス進める腕力も、まあ徐々に恥じないほどには身につくと思うしかない。ただ政治力だけは身につく気がしない。

 いったん従業員を辞めたのでささやかながら退職金が入りました。時期を合わせて住宅ローンの借り換えと生命保険の見直しを終えひと段落。長らく共働きをしていたぶん、贅沢三昧の生活が定着していて、ここ一年ほど家計のリビルドに苦心していたのだけど、ちょっと落ち着いた。すこし手元に残ったお金で株やら投信やら外貨やらの資産運用を始めてみた。いままでそういうの小ばかにしてたぶん、勉強することたくさんあって楽しいです。誰か詳しい人居たら教えてください。

 ちゃこの実家がいろいろ難しいことになっているのだけど、なかなか入り込めていなくてちょっと心が痛んでいる。いつだって割って入る気概はあるのだけど、毎々過去の事情だ歴史だとちゃこにさらりと躱されて、今のところ気概だけで終わっていて不甲斐無い。

 

 という、すっかり、『THE44歳』してますワーイ。

 

 楽しいこと嬉しいことも、心配ごとも、思い出すたび苦笑する苦い記憶も、歳とともに当たり前のように変わるのだなあとほんとうに思う。若いころの自分に居酒屋でハイボールのジョッキ傾けながら言ってやりたい、お前さんそんなくよくよすんなや、あんがいお前いい大人になんぜ。そして『まあダメなとこは経験重ねたところで相変わらずダメだけどな…!』口の中のきゅうりの浅漬けの噛み砕いたのめっちゃ見せながらげらげら笑ってやりたい。嗚呼やっぱ鈍感になってる。そんなん言われたら若い僕死にかける。

 たいていのことにちまちま悩んで、失敗にくよくよするのは相変わらず。でもあんがいすっぱり消化して忘れられる。いま抱えている『苦い思い出』と云えば、飲み会で『死ぬ前に食べたいご馳走ってなんですか』と問われて、あんまり思いつかず『餃子ですかね~』と微妙な回答をしたことだ。浅い。

 思えば、10代のころの僕の『思い出すたび舌打ちしてしまう苦い記憶』は、『音楽室の扉がノックされたのでちゃこに押されて慌てて準備室に隠れてみたらば、準備室の扉から体育教師が荷物跨いで侵入してきてご対面、”あ、おはようございます”。じゃねえよひぎゃあああああ!』というものでした。超情けなくて、超カワイイ!そんなのにくよくよしちゃって、超笑える。

 

 笑え…r…

 

 やばい、面白おかしい記憶語ろうと思い出したら、ちょっと想定以上にげんなりした。思っている以上には、記憶は洗い切れないらしい。