からっぽの夜

昨日金曜日は新橋近辺を飲み歩いて深夜に帰宅。ちゃこが朝から不機嫌。

美味しい焼鳥をいただいて、そのあとBARでまったり歓談。都合7時間かけて飲んでいたことになるわけですが…、その時間に相当するよな纏まった会話をしていた記憶はなく、きっと取りとめもないくだらない話をしていたのでしょうね、会話の断片だけが記憶にある。でも楽しかったので良しとしたい。記憶は希薄でも、その時間は空白ではなかった。

世の中にはいろんな人が居て、職場に居る『おしゃべりくそ野郎』(本人公認のあだ名です。)は、一分でも黙っていると死んじゃうと云う常に泳いでないと死んじゃうマグロのような人で。一緒に飲むと、彼の連綿たる一人おしゃべりが続くので、しかもそれがもう何度も聞いたことのある自分話だったりするので、僕なんかは早々に眠たくなっちゃう。そして寝ちゃう。一度すっかり寝ていて椅子から転げ落ちたことまである。『さいきんお酒弱くなったんじゃないですか?』と訊かれるけど、違う。キミの一人おしゃべりが退屈なだけだ。酸素の欠乏を感じるほどの、意味不明の文字列がぎっしり詰められた、からっぽな時間。

僕は、言葉少ななほうである…のが理由なわけでもないけど、沈黙の時間が苦にならない性質なので、沈黙の訪れとともに会話探しに焦ったりしない、同じように沈黙の時間を愉しめる相手のほうが一緒に居て気が楽だ。そこに、綺麗なグラスの美味しいお酒と、極上の葉巻とかが揃っていればなおさら。濃ゆい紫煙がゆうらり空に形を変えるさまを眺めているだけで愉しい。気付いたら煙の形しか憶えていない、濃密な空白に満たされる夜、そんな夜も良いと思う。

そういえば、先日Fさんに教えてもらったパイプをやりたいと思う。けれど家のリビングで吸えるわけでもなし、使える場所とシチュエーションの狭さに二の足踏んでる。寡黙なFさんがパイプうんちくについて饒舌に語る様子が素敵でした。